○證人(酒井幸次君) モジツクと吉村のことでありますが、これは長谷川とは全然関係がなかつたのでありますが、吉村自身の保身のためと私慾のために、恰もモジツクと吉村が私慾ということについて同じような程度の、まあ儲けてやろう、何とか利用してやろうというような氣持は大体同じだつたのじやないかと私は思うのであります。でそのモジツクと結託して、約一千名の日本人同胞を酷使と虐待に追込んで得た金やその他のものを着服
○證人(酒井幸次君) 大体石切場については再三話があつてと思いますので、私が、特に酷使されたことを申上げますが、それは材木運搬でありました。蒙古人のノルマは一日に一本、日本人は七本になつたのであります。現在そのために片輪のようになりまして、こうしておりますと頸がだるくて、少し動かすとこつこつします。こうやつておると一時間や三十分は我慢できるのです。この材木は私がまだ最初体力、氣力があつた時分には四人